皆さんの「セックス単価」のイメージってどれくらいでしょうか。
ソープやデリヘルならいくら、といった情報はググればいろいろ出てくるでしょうが、そういったことをせず、パッと思いつくお値段はいくらでしょうか。
もちろん女の子の年齢やスペックにもよるのですが、ならしたらどれくらいか、というイメージで構いません。
援助とかサポとか用語では「ホ別イチゴ」とかいうので、1万5000円くらいくらいでしょうか?「いやいや、そんなのは昔の話。今なら3万はするでしょ」と思うでしょうか。
兵長はずっと昔、たとえばバブルの頃とか、ちょっと前の2000年過ぎ~2010年ごろまでのことは知らないので、経験値から比べることはできませんが、それでも今は「セックスの値段」というものを問うた時に、それぞれがイメージする額が大きく違うのではないかと感じています。
それはなぜでしょうか。
日本は静かにみんなで貧しくなってきている
いきなり固い話から始めますが、日本の貧困化は進んでいます。
あまりそう感じていない人も多いかもしれません。なぜなら、日本は物価が全然あがらないので、あまりお金がなくても普通に暮らせるからです(今年になって一部の価格は上がっていますが)。
たとえばヨーロッパではマックでお腹いっぱい食べて1000円くらいで済みません。海外は、日本からみれば”安い国”である東南アジアも含めて物価が上がっていて、日本のほうがむしろ”安い”国になっています。
それは残念ながらそれは賃金が上がっていないことの裏返しでもあり、賃金も物価も上がらない、安いままの日本は、少しずつ、貧しくなっていっています。
ここでいう「貧しい」とは主にお金の面、相対的に世界・海外と比べた時の問題であって、「貧しいから幸せに暮らせない」ということではありません。貧しくとも心豊かに暮らすことは可能です。
ただ一方で、格差も大して広がっていません。
たとえば外国では、クソ大金持ちがいる反面、クソ貧乏な人もいます。日本はクソ大金持ちもあまりいないかわりに、クソ貧乏もそういない(クソ大金持ちはドバイとか行っちゃうからですが)。
つまり日本は緩やかに、みんなで貧しくなってきています。
風俗嬢にならなくてもセックスで稼げる時代 エンコ―はパパ活に名をかえた
そうした中で、若い女の子たちの中には、苦しい生活を余儀なくされている子がかなりいるようです。奨学金がかえせないとか、そもそも生活費に困っているとか。親もお金を持っていないので頼れないという家庭は珍しくないようです。
そうした若い女の子たちは水商売とか風俗とかで稼ぐわけですが、水商売はともかく風俗嬢のような稼ぎ方は、お店に所属しなくてもできるようになっています。
(ここで、家が貧しい女の子がみんな水商売や風俗業界に行っている、と言っているのではありません。ただ、そうした道に進むハードルが下がっていることは間違いありません。キャバ嬢が人気になっていることもその証拠の一つだと思います)
風俗参入が簡単になっている理由は、SNSやアプリの存在です。Twitterで宣伝して客をとるという行為が簡単にできるようになっています。
出会い系アプリがマッチングアプリと呼ばれるようになり、「隠れてするもの」でなくなった今、普通の出会いを求める男女だけでなく、セックスを求めるヤリ目の男女、お金目当て(カネ目)の女子など、あらゆる人たちが電脳世界でそれぞれの目的にかなう出会いを求めています。
昔は売春とか援助交際と呼ばれていた行為が「パパ活」と呼ばれるようになり、いわゆる彼氏・彼女候補を探していない異性同士が金銭(飲食や時間の対価を含む)を介して出会うことにも市民権が与えられました。
新型コロナウイルスの感染拡大は、こうした状況にも大きな影響を与えたと思います。
コロナ禍がセックスの値段を上げた?下げた?
まずコロナで多くの飲食店が営業停止となり、若い子がバイトに入れなくなりました。その親は親でコロナの影響で貧しくなり、子を助けるどころではなくなっている。
そうしてコロナ禍で初めてパパ活という名の援助交際を始めた子も実際にいます。生活費や学費など借金の返済のために、つまりお金に困ってエンコ―するわけですから、「高い値段をふっかける」余裕なんてありません。「値切られてでも仕方なく」という子もいます。
大きな流れでは、デフレが進んであらゆるモノの値段が下がり、下げ止まっている中で、風俗サービスの代金も安くなっている。その最中に起きたここ数年の動きであるコロナ禍は、上に述べた理由からすれば、セックスの値段についても下げ要因のはずでした。
しかし、その一方で、それとは逆の作用、つまりセックスの値段を上げる(もしくは下げ止める)要因もありました。
それは、一部の富裕な中年男子、いわゆる「パパ活おじさん」たちの存在です。
なぜパパ活をするおじさんたちが出てきたのか、といった詳しい生態については中村淳彦さんの著書『パパ活女子』などに任せますが、彼らが若い子と「ご飯を食べるだけでおこづかい」「お茶をするだけでおこづかい」をあげるせいで、女子たちは「自分たちと会って過ごすことが価値である」とばかりに、セックスをしないどころか、さらにはタダで飯まで食わせてもらってお金をとることを覚えてしまいました。
そうなるとセックスの値段は高くなります。だってセックスしなくてもお金をくれる人がいるわけですから。
このように、日本社会の貧困とコロナ禍がもたらした短期的・局地的な貧困が若い女の子に打撃をもたらしたものの、小金をもったおじさんたちが若い女の子たちにお金をそそいだ結果、「セックスの平均的な価値」というものをイメージすることがとても難しくなっているように思います。
兵長的にはいくらだと思っているのか? なぜこんなことを考えたのか
と長々と講釈を垂れてしまいましたが、兵長的にはいくらくらいだと思っているのかは、ブログで記すことはしません。
ではなぜそんなことを書いたのかというと、パパ活女子に会ったり、アングラ遊びをしたりする中で、「セックスの価値(つまりは値段)」というものについて、イメージや実際に費やしている価格が実に違うなと、つねづね思っていたからです。
複数パーティーなど参加費を払った遊びを結構するようになり、いろんな開催の参加費を知り、なぜその値段にしているのかという主催者の考えを聞くことも増えました。参加した男性からその費用に対する不満(または満足)を聞くこともあります。
また、以前はしていなかった(セックスそのものにお金を払う)風俗遊びをするようになったこともあります。風俗の情報を集めるようになり、いろいろなサービスとその値段を聞くと、驚きの価格で提供されていることがあります。
風俗遊びをしていない人にその内容と値段をいうと、驚かれるくらい、安い。
こうした状況を知り、いろいろな経験をするにつれて、「なぜここまで違いがあるのだろうか」と思うようになったわけです。
自分は何事にも指標を求めるタイプで、ざっくりといいので自分なりの物差し、基準となる価格が欲しいと考えます。それよりも安ければ「コスパがいい」となるし、高ければ高い理由が欲しい。
とはいえ、そもそも主催者と参加者、男性と女性、つまりはプロバイダーと受益者とでは当然、値段に対する考え方は異なるものですし、上にも書きましたが兵長は最近の状況しか知らないので、ここまで読まれて「そんなことは昔から変わっていない、むしろ今はセックスの値段(もしくは平均的な値段のイメージ)は均一化されているぞ」という方もいらっしゃるかもしれません。
それに、これも上に書きましたが、セックスする女の子によってそれは異なるものでしょう。
さらには、同じ女の子でもシチュエーションや男性側のスペックによってはその値段は変わるものです。
そう考えると、「絶対的な正解はない」わけであって、それを考えても意味はないのかもしれません。
あるのは
目の前のセックスにお前がいくら払うのか
というシンプル命題だけなのかもしれません。
ここで誤解されないよう付け加えますが、セックスはお金を払っていするものだ、と言っているのではありません。ただその子を落とすためにどれだけの労力や努力をするのか、ということも含みます。
そういう意味では、
そのセックスに見合うコストをどれほどと見積もるか
といったほうが正確かもしれません。
以上、これまでの活動を通して最近考えたことを整理してみました。長々と書いたようですが、これでもかなり端折ったので、うまく説明しきれていないかもしれません。そもそもこの意見や見方が正しいと思って書いているわけでもありません。「こういうことじゃないかなぁ」という程度にすぎません。
これを備忘として記しておき、今後自分の考え方が変わるのか、(変わったとしたら)どういう情報や体験がきっかけなのか、については今後も考えて、おりにふれて記していきたいと思います。